少し書いてみる。
不正出血が止まらず、いやいや婦人科へいったら子宮癌の疑いあり。
しかし、その検査があまりに手荒く、ほんとうに驚いちゃった。
野戦病院みたいだった。
心身ともに疲弊し、精密検査を受ける気が失せて、放ったらかした。
そして延々と不正出血は続き、一年後に別の婦人科へ行った。
診察室へ入ったら、あまりに穏やかで平和で、おじいちゃん先生は「痛くしませんから」と言う。
その言葉にすっかり安心して、実際に検査も痛くなかった。
結果は子宮体癌で、「相当分厚いね」とおっしゃる。
最初に行ったときはかたまりが画像の一部だったが、
今度の画像は子宮いっぱいではみださんばかりに大きくなっていた。
子宮全摘しかないという。
子宮をとるのはいいとして、魔法のように取り出せるわけではない。
お腹を切り開く、というのがなんだか不自然でイヤなのだ。
しかし、やさしい先生が穏やかに「手術したほうがいいですよ」という。
その気になった。
この先生にいわれたら、その気になった。
そして、紹介された総合病院へ行った。
若い先生だ。
看護師に「先生の前ではマスクをしてくださいね」と軽く叱られた。
その後ステージやら、手術の日程などを決めることになった。
市役所みたいな病院で、患者は組立工場の部品みたいに見える。
まぁ総合病院というのはそんなものだろう。
でも、採血する若い女性はおもしろかったね。
「そんなに血をとって大丈夫ですか?」といったら、
「大丈夫。大さじ1くらい」と答えて笑った。
プロテインの話でも軽く盛り上がり、楽しかった。
検査の日がくるまで、気持ちが暗い。
どうやって、感情と折り合うか、もんもんとする。
睡眠薬をまた飲み始める。
息をひそめて自分を折りたたんで、折りたたんでいる感じ。
ある夜、癌についての相談を読んでいて、
「感謝していますか?」という辛口のアドバイスがあった。
「世界には手術を受けたくても受けられない人がいる。清潔な環境で、手厚く看護されながら手術を受けるられることに、感謝の気持ちはありますか?」
それを読んで、ふいに殴られたような驚き。
自分のことだけでいっぱいだったなぁ。
感謝の気持ちがみじんもなかったことに気づいた。
ありがたいとしみじみ思った。
ありがたいと思えたことは、自分を救った。
これが第一転換点。
CTスキャンを受けた。
ぜんそくがあるので、造影剤は飲まずに済んだ。
従順に並び、名前を呼ばれて座ったり、着替えたり、、
粛々とベルトコンベアーに乗っている。
次の予定はMRIだ。
その日が近づいたある夜、わたしは我に帰る。
それは本当に気を失って、意識が戻ったような感じ。
なんのために手術するの?
あたりまえみたいに、手術へのスケジュールを進んでいる。
他に道がないように、進んでいる。
なんのため?
死にたくないから?
苦しみたくないから?
わたしは年が明けたら70歳だ。
そして、今までの人生で一番穏やかでしあわせな日々を過ごしている。
もう十分なのだ。
ごちそうさまでいい。
そんな折に、この衰えたお腹を切り開くのか。
そんなことをするのか。
ありえないと思った。
そんなことはしたくない。
はっきりとわかった。
死ぬのはOKなのだ。
手術の合併症や後遺症、その後の定期検診の日々が始まるのは、大きな違和感がある。
次の日に、検査も診察予約もすべてキャンセルした。
これが第二の転換点。
そうしたら、晴れた。
明快になったことがひとつある。
それは、手術へ感じていたわだかまりというものの正体だ。
病んだ子宮を切り離そうとするその意識。
病んだ子を捨てるような気持ちだったのだ。
手術しない決断をしたことで、感情が落ち着くだけではない。
子宮が安心した。
癌細胞への気持ち。
そこにいてもいいよ。
いっしょに生きていこうね。
子宮がくつろいでいる。
心底安心した。
からだ全体で、お祝いしたいほど安心した。
不正出血は相変わらずだ。
以前は、一生生理ってなんてわずらわしいと思ったけれど、
これでいいと思う。
からだが不要なものを捨てられる窓口があってよかった。
からだの中にたまっていくのは困る。
気持ち良い、少し上等なダブルガーゼで布ナプキンもたくさん作った。
お亡くなりになったけれど、近藤誠先生、中村仁一先生に感謝している。
命の恩人です。
癌になり、どんどん心が澄んできている。
先が短いかもしれない、ということは素晴らしい。
年寄りなので、先は短いのだけれど、
癌となればさらにはりきって、日々を満足に過ごせる。
大満足に生きようぜ!